インターネットは道具*
インターネットが手段ではなく目的になっているところがあるのではないだろうか。インターネットに無限の可能性をみるとき、それを目的として捉えていると限界は案外早めに来てしまうのかもしれない。たとえば、英語の能力を語るとき、「しゃべることができても日本のことをよく知っておかないと日本は語れない、教養こそ大事だ」と言われる。まあ、PCを買うおじいさんに「何に使うの?」と問う時の構成と一緒だ。ただインターネットはそれそのものでもそれなりのものを含んでいるからそのことに気づき難い。常に意識的に一歩離れて見つめる(関わる)ことが大事だ。
今の国民から求められるメディア像*
今のネット企業が取り扱っているニュースはどれも新聞記事をそのままもってきただけ。ネットへの移行はマスコミ劣化で加速していることからすると、劣化したものを真似てどうしようというのだろう。
生の良さと編集の良さ
とすると次に何が求められるでしょう?言論の分野における商社的役割を果たしつつ、旧来型マスコミや出版社のように、毒されない中間者でしょうか。それは人を介さないといけないのか、あるいはソフトウエアでいいのか、(私は嫌いですが)ケータイ小説なんぞがそのさきがけなのか。旧来型の意味を連想させる「編集」という呼び方は適当ではないかもしれません。言論昇華システムとでも呼びましょうか。人が介するものと、無機質なものと、両方需要があるように思います。
子供に夢を与えるドラえもんの会社:小学館の醜聞
http://blog.mayutan.com/archives/51397618.html
連載を抱えている作家たちは、どんなに憤っていてもひどい目にあっていたとしても、声に出すことは出来ません。作家vs出版社の全面戦争を始めようと言うわけでは決してありません。
ただ、問題のある作家には「お仕事をもらっている」という意識を持ってもらいたいし、問題のある編集者には「お仕事をしてもらっている」という意識を持ってほしいと思ったのです。
その上でのちょっときついアドバイスも暴言も「愛情と信頼」あってこそだと思うことが出来ると思うのです。その意識が、小学館という出版社には圧倒的に欠けている人間が多いというだけのことなのです。
この一件で、今いる新人作家や、後輩作家たちが少しでも気持ちよく、お仕事ができる状況になるよう、祈るばかりです。現に、私に対して、誹謗中傷、暴言の数々を繰り返した編集者によって
精神的に追いつめられて、漫画が描けなくなり声を上げることなく消えて行った、前途有望な新人をいくらでも見ています。こんなことがあってはいけないのです。
エロ漫画を大量に少年少女に配布していること自体も問題ですが、著作権者に対してこのような仕打ちをしているのであれば、他の出版社が発行する週刊誌できちんと真相を暴いてほしいものです。この際証言する人も多いでしょうから、一気に小学館が崩れることもあるかもしれません。
原油高に怒りもピーク=米投資家を名指しで非難−経産次官
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080609-00000082-jij-bus_all
「怒りに近いものを感じる。何でも、もうければいいというマネー経済、ウォールストリート資本主義の悪い面が出ている」−。経済産業省の北畑隆生事務次官は9日の記者会見で、1バレル=140ドル目前に達して天井知らずの原油高騰に怒りを爆発させた。
(中略)
その上で「どんなことがあってもファンダメンタルズ(経済の基礎的条件)は60ドルだと言い続ける」と強調した。
経済官庁のトップには、戯言を言い続けるのではなくて、どういう戦略をとれば国民生活がよくなるか、合理的な解決策を考え続けてほしいものです。怒って言い続けたら世の中変わるとでも思っているのでしょうか。。。本当に、経済産業省は痛い役所です。