生の良さと編集の良さ

とすると次に何が求められるでしょう?言論の分野における商社的役割を果たしつつ、旧来型マスコミや出版社のように、毒されない中間者でしょうか。それは人を介さないといけないのか、あるいはソフトウエアでいいのか、(私は嫌いですが)ケータイ小説なんぞがそのさきがけなのか。旧来型の意味を連想させる「編集」という呼び方は適当ではないかもしれません。言論昇華システムとでも呼びましょうか。人が介するものと、無機質なものと、両方需要があるように思います。