ネットがもたらした文明が進化するチャンス

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インターネットの最大の功績は情報リテラシーの向上だと思います。ひとつの情報を鵜呑みにしないで、いろいろな情報にあたって確認できる、ネットにはそんな特性があります。
一方で、インターネットはあくまでもツールに過ぎないともいえます。情報セキュリティーの問題など社会的にマイナス面が出てきて、「インターネット社会は大丈夫か」という、ゆり戻しもあるのではないでしょうか。

「インターネットには無数の虚報が混じっている、けしからん」という批判があります。でも私はこう思います、では今までは「虚報」はなかったと。確かにネットの登場で一種のカオス感は増したかもしれません。でも、それまでの平穏がニセモノだったとしたら?正しいカオスとニセモノのコモス。あなたはどちらが幸せな世界だと思いますか?
http://www.asahi.com/10th/interview/06.html

まず知っておくべきことは、すべての知識に完成形はないということです。「知」の海は常に形を変えています。気をつけなければいけないのは、そこには間違った情報が含まれているということです。さらに言えば、何が正しくて何が間違っているというような単純な二分法でなく、確からしさの度合いで判断するべき事項も非常に多い。「知」の海で泳ぎたければ、しっかりと自分の頭で判断する力を持っていなければすぐに溺れてしまうでしょう。

ニセモノのコモスとは、言論が新聞・テレビに牛耳られていたという事実を指します。彼らのいうことが世論を形成していた世界。国民はそれがバイアスのかかったものなのか、真実なのかを複数の観点から見る術がなかった。だからたくさんのものから正しいものを判断する必要がなかった、そういう問題があること自体を気にすることもなかったのです。盲目な人ほどその世界を秩序ある安心できる社会と感じてしまってたのです。

もうひとつ、インターネットのすごい点があります。ネット上では誰もが使う検索エンジンを思い浮かべてください。巨大な「知」の海の中で、お互いにチェックしながら他人の意見も参考にして、物事の本質に一歩一歩近づいていく。これはまさに科学のアプローチと同じです。つまり、多くの人が知らず知らずのうちに「科学的手法」をネット上で学んでいるとも言えるのです。

次代を担う子供たちには、暗記する能力より、ここで言われているようなアプローチ手法を学んでほしいです。暗記は暗記した方が処理スピードが上がるという種類のものに限定し、思考プロセスと効率よい検索スキルとを身につけてほしいです。それがこれからの社会活動(ビジネスなど)で一番必要となってくるのですから。