既存メディアの矛盾

http://www.h-yamaguchi.net/2005/05/post_1693.html

そうやって考えてくると、既存メディア側の主張は、つまるところ現在享受しているパイの縮小や「特権的地位」の喪失がいやだといっているように聞こえる(考えてみれば、特権階級の出現は、計画経済の不可避の帰結、なのかもしれないな)。それは「公共性」といった高邁なる理念の問題ではなく、「メディア企業役職員の生活水準保障」の問題だ。
なんだかとても既視感がある構図といえなくもない。既得権のある人々の考えることはみな似通っているのだろうか。

未熟な私はこのように論理展開できませんが、結論としては一緒です。規制社会を批判してきたマスコミ自身が、電波をはじめとする強力な規制の下で安穏と生きている。そして「報道の自由」の名の下にシャラポワ安藤美姫の盗撮を載せた週刊誌を売り、取材の名の下にJR西日本を叱り付ける。記者たちは記者会見の場で目立つことを主眼としているかのように人権侵害ともとれかねない言葉を使い罵倒する、、、いつぞや爆弾持って帰ろうとして人殺した新聞社の社員がそんなこという資格あるんですかね。どのチャンネルみても、何人がどこぞでボウリングしたとか、ゴルフしたとか、おんなじことばかり。少しは差別化した冷静な報道をしてほしいものです。その点、ブログではそういったマスコミの姿勢を問題として取り上げるものが増えてきたように思います。マスメディアを質すためにはブログはもっともっとがんばらなければならないでしょう。